心の成長には段階がある♡
私にとってとても大切な願い。どうしても諦められなくて、どうしても叶えたいもの。
そんな願いは、上手くいかない現実を受け取ってしまうと、強い衝撃(ショック)を受けて心は木っ端微塵に砕け散ることに近い状態になりますよね。
どのような過程を辿っていくのか(心の反応)を知ると、今苦しみの中にいたとしても正常な反応であることが理解でき安心されるかと思います。
大切なものを失う悲しみ(喪失体験)
喪失体験に伴う悲しみを始めとしたさまざまな感情に対するケアは、医療の中では死別や障害といったものが中心ですが、失恋も大切な人をなくすという意味で喪失体験になるんですね。
- 親しい人と別れる
- 住み慣れた環境を離れる
- 所有していたものを失う
これらのように愛着のあったものを失うことを「対象喪失」と言い、このときに喪の作業を行います。
この対象を失う喪失体験をしたときに感じる感情は、悲しみはもちろんのこと、罪悪感、憎しみ、怒り、後悔などさまざまです。
大好きなお相手とお別れしたときの感情を思い出してみてください。当てはまる方が多いのではないでしょうか。
喪失体験の悲しみから抜け出す喪の作業
喪の作業とはフロイトが生み出した概念で、喪の作業を経ることによって失った対象から離脱し、新しい対象を求めることが可能になると提唱しました。
ボウルビィの4段階
省略できない大切なプロセスとして、喪の作業の4段階プロセスを提唱しました。
- 情緒の危機:大切なものを失ったという激しい衝撃に対し、ショックを受ける段階。
- 抗議:喪失したという事実を認められない。失った対象を探し求めたり、あたかもまだ存在するようにふるまったりする。事実を認めさせようとするものに対し、抗議している状態。
- 断念:喪失したという事実を認め、抵抗することを断念する。激しく絶望し、無気力になることもある。失意、抑うつ、不安、怒りなどの気持ちに支配される。
- 離脱:喪失した対象に対して、徐々に穏やかな感情を抱くようになる状態。事実を少しずつ受け入れ始め、立ち直る努力をし始める。
キュプラ-・ロスの死の受容過程(悲しみの5段階)
キュプラ-・ロスは「死ぬ瞬間」という著書で有名な方です。
この著書の中で提唱したのが、人が避けられない死を受容していく悲しみの過程(プロセス)を、否認・怒り・取引・抑うつ・受容の5段階でモデル化したものです。
- 否認:死を運命として受け入れられず、事実(検査結果など)を疑い、孤立する
- 怒り:「どうして自分が」と怒りを覚え、周囲にぶつける
- 取り引き:死の恐怖から逃れようとして、何かにすがろうとする(宗教、補完代替治療、寄付など)
- 抑うつ:死は避けられないことを悟り、喪失感(ロス)に絶望し、なにも手につかなくなる
- 受容:死を避けられない運命として受け入れ、心に安らぎを得る
失恋も喪失体験
繰り返しになりますが、医療や心理学の分野では死別体験による喪失が主に扱われますが、愛着のある対象を失うというのは死別に限りません。
失恋はもちろん可愛いペットを看取ったあとにペットロスになってしまう飼い主さんも対象喪失に当たります。
大好きなお相手とお別れしてしまった。その強い精神的衝撃の最中に「現実は私が創っている」「願いを叶えられる私になる」「在りたい私でいる」「エフィカシーを高くしよう」などというのはできるわけないんですね。
ご紹介したように、悲しみを乗り越えて心が回復していくにはプロセスがあるので、それを飛び越して最上級を目指すことはできないのです。
このプロセスは誰もが同じ順序で進むわけではなく、順番が入れ替わったり、何度も同じところを行きつ戻りつしたり、同時にいくつもの過程を辿ったりするものです。
大切な人とお別れしてしまった直後、まだ心の整理ができていない状態で望みやビジョンを観ることなんてできません。
セッションでよく伺う、彼を取り戻したいと強く願う時期というのはオーダーもクレクレや期待になりやすいですし、自分を責めていたり、完璧なオーダーを出さないと叶わないと思ってしまいやすいんですね。
復縁したあとの望みや先のビジョンが観えないという方に、まずは自分が感じている感情や感覚をただ感じましょうとお伝えしているのは、心の反応の段階に応じているからなんです。
そしてどんな感情や思いが湧いてきても、絶対にそれを責めないこと。怒りを感じて自分や相手を責めることも、通常の心理過程だからです。
早く望みやビジョンを見つけなきゃと焦らないこと
自分の心を大切に守りながら、傷ついた心を癒やしながら、少しずつ段階を踏んで自分が望むように導いてあげる。心理プロセスを辿るにはそれだけで十分だったりもします。
いつの間にか『叶えるために』と自分に課すものが増えていくことはよくあって、自分自身に寄り添っているつもりなのに、知らず知らずムチを打っていることがあります。
カウンセラーさんが言っていたから
こうすれば次元を変えられるから
こうしなきゃ私の願いは叶わないから
そんな制限は心の成長の段階を無視してしまうことと同じ。
どんなことも良い・悪いの2択からは抜けて
今の私の最上級の心地よさは何か
その選択や行動は私にとって心が最も安心することか
すべて心の反応で決めていく方が早かったりします。
すると成長の段階を超えていくスピードも早くなり、遠回りしているようで実は早道だったりもするんですね。
特に頑張り屋さんや自分自身よりも周りを大切にする優しい人は、無意識のうちに余計なものを受け取っていたり、私がやらなきゃと課題を課していたり、自分ルールを作っていたりします。
それでは願いを放ったあとの過ごし方や現実の見方が苦しくなってしまいます。
すべてを許す
それはどんな在り方でもいいと思えること。
私もお相手も
私の周りの人すべても
だからこそ
私の心を守り大切にする
私の心の反応を一番に最優先する
そこがスタートでゴールでもあるのかもしれませんね。